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高千穂郷18ヵ村は、九州の真ん中にあって古代より交流の中心であった。先祖はどのようにこの地を開拓し、生きてきたのだろう?第1巻では27の名字を収録する。安西一夫著 高知尾の名字1~姓氏の由来にみる西臼杵の歴史をたどる◎鉱脈社
みやざき文庫152 定価本体2200円+税 2420円 四六判 352ページ 『高知尾の名字』発刊にあたって JA高千穂地区組合長 佐藤友則 この度、安在一夫氏が、長年JA高千穂地区広報紙「かるめご」に連載されていました「西臼杵の姓氏」が、大幅に改稿して新たな装いで編集され、『高知尾の名字』と題されて発刊されるにあたり、心よりお祝いを申し上げます。 執筆されました安在一夫氏が、高千穂地区農協で広報担当をされていました平成八年八月号から、退職後の令和四年五月号までの二十六年間、執筆活動を続けられ現在に至っているところです。 繁多な農協業務。そして退職後の介護施設経営の傍ら、膨大な資料の収集、取材力、そしてそれから得た情報・知識等々、唯々感嘆するとともに、毎号書きつづけられたことに感謝と敬意を表する次第であります。 高千穂郷は、古代神話の時代から、近世に至るまで九州中央部の要所としてまた、天孫降臨の神話と伝説から戦国時代そして近世まで夫々に由来した地名があります。更に二〇一五年に世界農業遺産「高千穂郷・椎葉山」として認定され、その根幹をなす一八〇〇ヘクタールの棚田・五〇〇キロメートルにも及ぶ山腹用水路網等、先人が苦労して築き上げた歴史的遺産も数多くあります。 「かるめご」では姓氏の由来に加え、その時々の時代背景も書きこまれており、単なる「JA広報紙」としてではなく、歴史的価値の高い連載として組織内外より高い評価を受けております。 JA高千穂地区も平成六年に三JA合併してから本年で三十周年を迎えることもあり、安在一夫氏の快諾を受け今回出版の運びとなりました。歴史的価値の高いこの本は、三巻予定の第一巻初版となります。 結びにこの本が、後世に伝える貴重な歴史書としての価値に加え、地域・組合員の方々がこの高千穂郷に生まれ育ったことと、改めて自分の姓を「誇り」に思える根拠の一つとなることをご祈念申し上げ発刊にあたってのご挨拶と致します。 なお出版にあたっては、鉱脈社川口社長に特段のご配慮を賜り改めて御礼を申し上げます。 令和五年七月吉日 目次 第一編 神々との関わりのなかで 1の章 十社大明神との関連で 興梠・興呂木[こうろき・こうろぎ]氏 始めに山の氏・興呂木氏ありき 市野[いちの]氏 「いちの」という名乗りは何処から?地名かあるいは神孫の末裔だから? 緒方・尾賀田[おがた]氏 恐ろしき者の末、祖母岳大明神の子 あかがり大太の長子が高千穂を支配 極殿[ごくでん]氏 神に供えるお米を栽培した御供田の管理者 2の章 阿蘇神との関わり 今村[いまむら]氏 高知尾を出発したわずかな主従は南阿蘇で大族に 田上[たのうえ]氏 神孫の末裔は広大な知保野を拓き、狩猟の名手は観音の霊験に導かれて 矢津田[やつだ]氏 謎多き希代の豪傑を祖とする延岡藩官吏。書き写した多くの文書は貴重な歴史資料 第二編 落武者の系譜 3の章 落武者の系譜1 奈須・那須[なす]氏 那須与一の伝承もあるが 椎葉を追われた十三人衆の末孫か? 坂本[さかもと]氏 荒踊の特異性は近江からの移住の証明か? 後藤[ごとう]氏 大坂の陣の落武者説も混じり、庄屋、社家、浄専寺開基と多土彩々 稲葉[いなば]氏 日露戦争旅順港封鎖作戦で名誉の戦死 稲葉秀六の先祖は伊予水軍河野氏の出 4の章 落武者の系譜2 津隈[つぐま]氏・角隅[つのくま]氏 豊後大友氏の軍師角隅石宗と同族。豊前に発祥。つきまとうキリシタンの影 山田[やまだ]氏 先祖は島原の乱一揆軍の唯一の生き残り「天草四郎の旗指物」の絵を描いた絵師 竹次[たけつぐ]氏 作左衛門は秀頼探査の隠密で薙刀の名手 島原の乱負傷の武者をみとり供養塔建立 第三編 戦国の世から幕藩体制下へ 5の章 台頭する国衆たち 押方[おしかた]氏 時勢を見て領袖を変えつつ 阿蘇氏を最後まで支えた一族 土持[つちもち]氏 岩戸土持の祖。親子二代戦野に埋る 赤星[あかぼし]氏 肥後の名族の一派。天険を利用した山城の遺構は今も残る 森田・守田[もりた]氏 森田の名字は烈婦おひや様の姓か 6の章 山の民の系譜―技能集団 小椋[おぐら]氏 惟喬親王(これたかしんのう)のお墨付きを得て山中を自在に。轆轤(ろくろ)を挽いた山の民・木地師 広島・廣島(嶋)[ひろしま]氏 その技、竹ひご一本に伝う用の美は世界を魅了する。 伊木[いき]氏 栄華を極めた山浦の鉱山(やま)。握ったのは象のシッポほど。大鉱脈が地下に眠る 芥川[あくたがわ]氏 神農(しんのう)様の居場所を探せ。芥川泥干(でいかん)の傑出の木像群 7の章 庄屋群像―藩と民の間で 河内[かわち・かわうち]氏 問題が解決したその日の夜半、悲劇は起きた。何があったのか? 岡田[おかだ]氏 山裏の逃散事件を解決した商人、三ヶ所村の庄屋として地域振興に尽力 甲田[こうだ]氏 隣村の騒動で手腕を発揮した安左衛門、五ヶ瀬川を浚渫(しゅんせつ)し積み出し倍増の嘉兵衛 中村[なかむら]氏 菜種千俵、米千俵交換詐取されるも三代かけて取り戻した中村寅五郎 都[みやこ]氏 幕末、高知尾の若者のステータスは六尺棒を操る棒術の免許皆伝であった 関係地域図―高千穂郷を中心に 主要参考文献・史料一覧 あとがき 私事で恐縮ですが、農協を退職して二十五年近くが経ちました。その節は組合員の皆様はもとより同僚の皆様に大変お世話になりました。 この度、不肖私が農協だより「かるめご」に連載させてもらっておりました「西臼杵の姓氏」を、高千穂地区農協で合併三十周年記念として本にまとめて出版していただくことになりました。大変光栄なことと感謝しております。 私は平成六年四月、郡内の農協合併で五ヶ瀬町に支所長として勤務させて頂きました。その前年の平成五年は長雨が続いた寒い夏で多くの人が初めて経験された冷夏の年であります。米は稔らず作物の大半は売り物にならない不良品でした。うって変わって翌六年は雨の降らない日照りの年となり、作物の大半は豊作でしたが今度は価格の低迷で、農家の皆さんにとって大変厳しい年が続きました。 郷土の歴史でも、このような気象災害は度々あり、食料を生産するはずの百姓が飢えに苦しみ強訴、逃散、打ち壊し、一揆等騒動に走ることもあったようです。 延岡藩政下よりもっと古い時代、はるかな古代より綱の瀬川より以西、 分水嶺あたりまでは「高知尾」「高智保」の呼び名で呼ばれ、約六五〇年間三田井氏の支配下にありました。以後、近世に至っては二七〇年間延岡藩の統治下となり近代に至っています。 耳川流域の七ツ山、家代を加え高千穂十八ヶ村が九州のど真ん中に存在した、それは神々の里と呼ばれる千年以上の歴史とロマンにあふれる土地であろうと思います。 広報紙の連載では我らのご先祖が不器用にも一生懸命暮らしてきたことを書きました。それができたのも農協職員という仕事を通じて、組合員という農家の皆さんと時には酌み交わし筵の上で語り合えたからです。そのとき聞いたご先祖のお話をまとめたものが中心です。 本にまとめるにあたって、タイトルは高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村一帯の共通の呼び名をいただき「高知尾の名字」としました。 この本を出版できたのは、ご教示頂きました郷土史家の諸先生、同志諸兄、今までの「西臼杵の姓氏」をご愛読いただきました皆様のおかげです。その多くはすでに鬼籍の門をくぐられました。この場にてご冥福をお祈りいたします。 本書は第一巻であります。 「かるめご」に掲載した名字が約九○姓あります。本書収録の名字はそのうちの三分の一に満たないものです。最終的には数巻のシリーズとなるでしょう。連載当初のページ数の不足で書き漏れなどがあり、追加したい名字もありますので、今後につきましては農協と相談しながら対処していきたいと思います。 最後になりましたが、組合員の皆様、読者の皆様有難うございました。 令和五年七月吉日 筆者 敬白 私たちが心をこめて作っています。 鉱脈社は1972年に誕生し、創業50年を超える宮崎に根ざした出版社です。 「月刊情報タウンみやざき」などの情報誌のほか、単行本やシリーズ書籍の出版、自費出版のお手伝いを手がけています。 雑誌分野ではスタッフ一丸となって足で情報をかせぎ、書籍出版分野では著者様と力を合わせて納得のいく本づくりを心がけています。 私たちが愛情込めて作った本を、ぜひ手に取ってみてください。
2420 円 (税込 / 送料別)