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小倉遊亀『菩薩』彩美版・シルクスクリーン・一部本金・天然岩絵具手彩色 掛軸

小倉遊亀『菩薩』彩美版・シルクスクリーン・一部本金・天然岩絵具手彩色 掛軸

菩 薩 手に赤い蓮華の蕾を持ち(蓮華手)、頭上に開いた蓮の華 (普通は如来形の化仏)を戴く観世音菩薩を描いた作品です。 【 彩美版とは 】 画材の質感と豊かな色調を再現するために生み出された、 新時代の画期的な技法による複製画です。 小倉遊亀 1895 滋賀県に生まれる 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 限 定 300部 証 明 著作権者承認印・限定番号入り奥付けシールを桐箱蓋裏に貼付け 技 法 彩美版・シルクスクリーン併用・一部本金、天然岩絵具手彩色 用 紙 和 紙 寸 法 【画寸法】70.0×48.5cm 【軸寸法】162.5×67.5cm 体 裁 表 装 天 地 中 廻 風 帯 一文字 軸 先 箱 三段表装 淡茶綿 早雲寺 唐草文 緞 子 竹屋町風唐草文 金 襴 為 塗 柾目桐箱 タトウ付 制 作 共同印刷株式会社 美術商品部 万一表装の生地が品切れになった場合、同一品質・似ている 模様の生地を使用することがございます。

253000 円 (税込 / 送料込)

小倉遊亀『桔梗』(散華)木版画【中古】

小倉遊亀『桔梗』(散華)木版画【中古】

■桔 梗(散華) 「散華」とは諸仏を供養するために花を撒くことを言います。 元来は蓮弁をはじめとする生花が使われていましたが いつの頃からか、蓮の花びらを形どった紙が 代用されるようになりました。 こちらの散華は、1986年に天武天皇1300年玉忌供養と 薬師寺迦藍復興の一助にと描かれた作品を元に 京都の木版匠、徳力富吉郎監修の元制作された木版画 色紙です。 新品のタメ塗りの木製額縁に納めました。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県に生まれる 1920 安田靫彦に入門 1922 日本美術院第8回試作展入選 1926 第13回院展初入選 1928 第15回院展入選 日本美術院院友に推挙される 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙される 1949 毎日新聞連載・谷崎潤一郎「少将滋幹の母」の挿絵を描く 1954 第4回上村松園賞受賞 1955 芸能選奨美術部門文部大臣賞受賞 1957 第8回毎日美術賞受賞 1962 第18回日本芸術院賞受賞 1973 勲三等に叙され瑞宝章が贈られる 1975 神奈川県文化賞受賞 1976 日本芸術会員に任命される 1978 文化功労者として顕彰される 日本美術院理事に推挙される 1979 滋賀県文化賞受賞 1980 文化勲章授与 1981 大津市・名誉市民として表彰される 1990 日本芸術院理事長に就任 1995 鎌倉市名誉市民となる 1996 日本美術院理事長を退き名誉理事長となる 1999 三越エトワール(パリ)にて個展開催 2000 逝去 従三位に叙せられる 作家名 小倉遊亀 題 名 桔 梗(散華) 技 法 木版画 版画制作 徳力富吉郎 画面の寸法 16.7×12.1cm 額縁の外寸法 44.8×41.6cm 額縁の枠 タメ塗り(赤茶)色額縁 額縁のマット 布マット 額縁の仕様 額縁裏面に壁吊り用金具・ひも 額縁の窓 アクリル 状 態 【中 古】 古い作品ですが状態はとても良好です (額縁は新品です)

33000 円 (税込 / 送料込)

小倉遊亀 「 白磁と紅梅 」 リトグラフ 【中古】

版画 日本画 絵画 静物 花 壺 陶器 送料無料小倉遊亀 「 白磁と紅梅 」 リトグラフ 【中古】

■白磁と紅梅 日本画壇を牽引した女流作家の第一人者である小倉遊亀。 今なお人気の作品を版画でお楽しみいただける作品です。 ■小倉遊亀 おぐらゆき 1895 滋賀県大津市に生まれる 1917 小学校教諭となる 1920 安田靫彦に師事 1932 女性として初めて日本美術院同人に推挙 1962 日本美術院賞受賞 1973 勲三等瑞宝章を授与される 1978 日本美術院理事に就任 文化功労賞として顕彰される 1980 文化勲章受章 1990 日本美術院理事長に就任 1996 日本美術院名誉理事長となる 1999 パリの三越ルトワールで個展開催 2000 逝去 享年105歳 2001 滋賀県立現代美術館で追悼特別展開催 2002 東京国立近代美術館、滋賀県立現代美術で 『小倉遊亀展』開催 2010 兵庫県立美術館、宇都宮美術館で 『没後十年小倉遊亀展』開催 2014 滋賀県立近代美術館で『遊亀と靫彦展』開催 作家名 小倉遊亀 題 名 白磁と紅梅 技 法 リトグラフ 制作年 1997年 版 数 37版37摺(本金箔貼) 限 定 212/350 画面の寸法 縦41.0×横50.0cm 額縁の外寸法 縦61.2×横70.1×厚み4.5cm 額縁の仕様 金泥色木製版画額縁 付 属 布タトウ (黄袋付き) 額縁の窓 アクリル 重 量 約3.9kg 監 修 鉄樹 状 態 【中古】 額縁は多少キズ有り 作品本体の状態は良好です

55000 円 (税込 / 送料込)

小泉淳作 白い宴 銅版画

既成の画壇から一線を画し、独自の画風 で活躍している孤高の日本画家小泉淳作小泉淳作 白い宴 銅版画

作家名 小泉淳作 技法 銅 版 画 絵サイズ 縦38.5X横50cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦61.1X横72cm 額の状態 ほぼ良好 限定 150部 サイン 小泉淳作鉛筆サイン サイン 朱落款 額の仕様 茶色木生地額装 マット 白紙マット 格安卸価格税込69,120円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる 世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退 東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる 伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める 第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選 第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選 鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの 幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作 る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選 陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選 第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展 この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選 この年の石油危機を境に、生活の手段であった デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選 以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声 海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去 日本橋・壺中居にて陶芸展 酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催 鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越) 浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成 東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催 第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要 鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要 北海道中札内村に小泉淳作美術館開館 『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」 第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納 日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后 1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆 尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・ 小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去 享年87歳小泉淳作 白い宴 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作

69120 円 (税込 / 送料込)

小泉淳作 泰山木の花 銅版画

既成の画壇から一線を画し、独自の画風 で活躍している孤高の日本画家小泉淳作小泉淳作 泰山木の花 銅版画

作家名 小泉淳作 技法 銅 版 画 絵サイズ 縦55.5X横40.5cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦82X横65.4cm 額の状態 ほぼ良好 限定 80部 サイン 小泉淳作鉛筆サイン サイン 朱落款 額の仕様 燻し金額装 マット ベージュ紙マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる 世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退 東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる 伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める 第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選 第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選 鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの 幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作 る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選 陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選 第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展 この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選 この年の石油危機を境に、生活の手段であった デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選 以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声 海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去 日本橋・壺中居にて陶芸展 酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催 鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越) 浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成 東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催 第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要 鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要 北海道中札内村に小泉淳作美術館開館 『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」 第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納 日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后 1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆 尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・ 小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去 享年87歳小泉淳作 泰山木の花 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作

99360 円 (税込 / 送料込)

小泉淳作 紅芙蓉 銅版画

既成の画壇から一線を画し、独自の画風 で活躍している孤高の日本画家小泉淳作小泉淳作 紅芙蓉 銅版画

table border="1" cellspacing="0" cellpadding="0" summary="作品データ"> 作家名 小泉淳作 技法 銅 版 画 絵サイズ 縦61X横47cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦86.2X横71.2cm 額の状態 ほぼ良好 限定 80部 サイン 小泉淳作鉛筆サイン サイン 朱落款 額の仕様 茶色木生地額装 マット 銀マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる 世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退 東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる 伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める 第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選 第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選 鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの 幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作 る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選 陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選 第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展 この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選 この年の石油危機を境に、生活の手段であった デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選 以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声 海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去 日本橋・壺中居にて陶芸展 酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催 鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越) 浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成 東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催 第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要 鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要 北海道中札内村に小泉淳作美術館開館 『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」 第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納 日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后 1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆 尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・ 小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去 享年87歳小泉淳作 紅芙蓉 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作

99360 円 (税込 / 送料込)

小泉淳作 紅牡丹 銅版画

既成の画壇から一線を画し、独自の画風 で活躍している孤高の日本画家小泉淳作小泉淳作 紅牡丹 銅版画

作家名 小泉淳作 技法 銅 版 画 絵サイズ 縦49X横61.5cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦74.2X横85.3cm 額の状態 ほぼ良好 限定 50部 サイン 小泉淳作鉛筆サイン 落款 朱落款 額の仕様 金額装 マット 銀マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる 世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退 東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる 伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める 第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選 第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選 鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの 幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作 る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選 陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選 第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展 この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選 この年の石油危機を境に、生活の手段であった デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選 以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声 海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去 日本橋・壺中居にて陶芸展 酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催 鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越) 浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成 東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催 第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要 鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要 北海道中札内村に小泉淳作美術館開館 『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」 第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納 日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后 1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆 尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・ 小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去 享年87歳小泉淳作 紅牡丹 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作

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小泉淳作 牡丹双華 銅版画

既成の画壇から一線を画し、独自の画風 で活躍している孤高の日本画家小泉淳作小泉淳作 牡丹双華 銅版画

作家名 小泉淳作 技法 銅 版 画 絵サイズ 縦45X横60.5cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦69.2X横83.2cm 額の状態 ほぼ良好 限定 80部 サイン 小泉淳作鉛筆サイン サイン 朱落款 額の仕様 燻し金額装 マット ベージュ紙マット 格安卸価格税込99,360円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小泉淳作年譜(1924-2012) 1924 10月26日、神奈川県鎌倉に生まれる 1929 実母 ふみ亡くなる 1931 慶応義塾幼稚舎入学 1937 父小泉三申 66歳で亡くなる 世田谷野沢町に転居(その後24歳まで居住) 1941 慶応義塾大学文学部予科入学 1942 常岡文亀(東京美術学校教諭)に師事 1943 慶応大学文学部予科(仏文)中退 東京美術学校日本画科入学 1944 学徒出陣により応集、前橋の予備士官学校へ 1945 肺病にかかり自宅療養を命じられる 伊豆で療養生活中に終戦 1948 闘病生活を終え、東京美術学校日本画科に復学 1952 東京美術学校日本画科卒業 1954 中山黎子と杉並区阿佐ヶ谷にて結婚生活を始める 第18回新制作展に初入選「花火」「床屋にて」 1955 新制作協会第19回展に「群衆」「道」出品、入選 第一子誕生 1956 新制作協会第20回展に「休日」「ちんどんや」が入選 1958 新制作協会第22回展に「牛と人」「記念撮影」が入選 鎌倉に転居 1959 新制作協会第23回展に「食べる人達」を出品、入選 1960 新制作協会第24回展に「ヨットの街」「サーカスの 幻想」が入選 1961 新制作協会第25回展に「憩う人」が入選 1962 新制作協会日本画部春季展に「二つの顔」「箱を作 る人」が入選 1963 新制作協会第27回展に「閑なグループ」が入選 陶芸を手掛け始める 1964 新制作協会第28回展に「魚の市」が入選 第二子誕生 1968 新制作協会第29回展に「舟のある人物」が入選 1969 京橋・中央公論画廊にて初の個展 この頃雅号を淳から本名の淳作に変更 1970 新制作協会第34回展に「動かない牛」が入選 1971 新制作協会第35回展に「山のつどい」が入選 1972 小泉淳作展(銀座・彩壺堂) 1973 新制作協会第37回展に「伊豆の山」が入選 この年の石油危機を境に、生活の手段であった デザインの仕事がほとんど無くなり、陶芸によ る収入に依る割合が増加 1974 第一回創画展に「雨後」出品、入選 1975 小泉淳作展(銀座・東京セントラルサロン) 1976 第3回創画展に「植樹の山」出品、入選 以降出品せず、鎌倉にて初の陶芸展 1977 山種美術館賞優秀賞受賞「奥伊豆風景」 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 「山を切る道」が文化庁買い上げとなる 1978 『朝日ジャーナル』連載小説 辻邦夫『樹の声 海の声』の挿絵を担当開始 1981 小泉淳作展(日本橋高島屋美術画廊) 『樹の声海の声』連載終了 1984 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 1986 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『日本経済新聞』に「唐・宋山水画十選」執筆 1987 『日本経済新聞』に「宋画・動物十選」執筆 1988 小泉淳作展(ギャラリー上田・銀座) 『アトリエからの眺め』(築地書館)刊行 1990 小泉淳作展(フジヰ画廊・銀座) 『小泉淳作画集』(求龍堂)刊行 1992 小泉淳作展(日本橋高島屋) 1994 小泉淳作展(一番星画廊・日本橋) 1995 妻黎子逝去 日本橋・壺中居にて陶芸展 酒田・本間美術館にて「小泉淳作展」開催 1996 「小泉淳作展」開催 鎌倉市中央公民館市民ギャラリー 1997 小泉淳作展(横浜そごう) 1998 『アトリエの窓から』(講談社)刊行 1999 小泉淳作展(日本橋三越) 浄土宗大本山増上寺天井絵「泰山木」制作 2000 鎌倉・建長寺法塔天井画「雲龍図」完成 東京・横河電機本社にて公開 2001 東京ステーションギャラリーにて初の回顧展開催 第50回神奈川文化賞受賞 2002 京都建仁寺にて双龍図の開眼法要 鎌倉建長寺にて雲龍図の開眼法要 北海道中札内村に小泉淳作美術館開館 『小泉淳作作品集』(講談社)刊行 2004 鎌倉芸術館ギャラリー小泉淳作展「ひとり行く道」 第14回岡田茂吉賞絵画部門大賞受賞 2005 小泉淳作展(日本橋高島屋) 2006 奈良・東大寺に「聖武天皇・光明皇后御影」奉納 2008 『随想』(文芸春秋)刊行 2010 奈良・東大寺本坊の襖絵全40面完成、奉納 日本橋高島屋他にて「平安遷都1300年 光明皇后 1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念小泉淳作展」開催 2011 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」執筆 尾道市立美術館にて「小泉淳作展・中札内美術村・ 小泉淳作美術館コレクション」 2012 1月9日、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去 享年87歳小泉淳作 牡丹双華 鎌倉・建長寺法堂の天井画雲龍図、京都・建仁寺天井画 双龍図、そして5年の歳月をかけて完成した奈良・東大 寺本坊の襖絵全40図など、既成の画壇から一線を画し 独自の画風で活躍している孤高の日本画家小泉淳作

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小倉遊亀 桃と鉢 木版画 1989

同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀小倉遊亀 桃と鉢 木版画 1989

作家名 小倉遊亀 制作年 1989 技法 リトグラフ 絵サイズ 縦42X横49.5cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦63X横71.1cm 額の状態 ほぼ良好 限定 300部 サイン 刷り込サイン 落款 朱 落 款 額の仕様 木金日本画縁 マット 紫布マット 格安卸価格税込79,920円 発表価格 45万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小倉遊亀年譜(1895-2000) 1895 3月1日滋賀県大津市に生まれる (本名はゆき、旧姓は溝上) 1913 滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学 校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現奈良女子 大学)国語漢文部に入学 1917 奈良女子高等師範学校をを総代で卒業 京都第三高等小学校に着任 1919 椙山高等女学校教諭を務める 1920 横浜の捜眞女子校講師となる 安田靫彦に入門を許される 1926 第13回院展「胡瓜」初入選 以後落選なし 1932 奥村土牛と共に日本美術院同人推挙 女性初の同人となる 1938 山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚、それ以降 は鎌倉に居住した 1944 小倉鉄樹死去 1954 第四回上村松園賞を受賞 1955 「裸婦」(第39回院展出品)が芸能選奨美術部門 文部大臣賞受賞 1957 「少女」(第41回院展出品)が第8回毎日美術賞 受賞 1962 「母子」(第46回院展出品)が第18回 日本美術院賞受賞 1976 日本芸術院会員に任命される 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性 会員 1978 文化功労者として顕彰され、日本美術院理事 に推挙 1980 文化勲章授章 女流画家としては上村松園以来であり、女性 として文化勲章を受けたのは三人目である 1981 「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」開催 (日本橋三越本店) 1984 滋賀県立近代美術館開館 「開館記念小倉遊亀回顧展」開催 1993 「白寿記念・小倉遊亀展」開催 (を日本橋三越本店、大阪三越) 1994 白寿を記念して、天皇・皇后両陛下より銀杯一 組と皇居の梅を下賜 1995 朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」開催 (日本橋三越) 1996 日本美術院名誉理事長に就任 1997 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」開催 1999 パリ三越エトワールにて海外初個展開催 「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催 2000 7月23日逝去 享年105歳 2001 「小倉遊亀回顧展」開催 (滋賀県立近代美術館) 2002 「小倉遊亀展」開催 (東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館)小倉遊亀 桃と鉢 同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀

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小倉遊亀 つぼみ(ぼたん) 木版画 1989

同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀小倉遊亀 つぼみ(ぼたん) 木版画 1989

作家名 小倉遊亀 制作年 1989 技法 木版画 絵サイズ 縦49X横41cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦71.6X横63.4cm 額の状態 新 品 限定 HC(通常限定300部) サイン 刷り込サイン 落款 朱 落 款 額の仕様 木生地金日本画額縁 マット 金布マット 格安卸価格税込79,920円 発表価格 45万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小倉遊亀年譜(1895-2000) 1895 3月1日滋賀県大津市に生まれる (本名はゆき、旧姓は溝上) 1913 滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学 校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現奈良女子 大学)国語漢文部に入学 1917 奈良女子高等師範学校をを総代で卒業 京都第三高等小学校に着任 1919 椙山高等女学校教諭を務める 1920 横浜の捜眞女子校講師となる 安田靫彦に入門を許される 1926 第13回院展「胡瓜」初入選 以後落選なし 1932 奥村土牛と共に日本美術院同人推挙 女性初の同人となる 1938 山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚、それ以降 は鎌倉に居住した 1944 小倉鉄樹死去 1954 第四回上村松園賞を受賞 1955 「裸婦」(第39回院展出品)が芸能選奨美術部門 文部大臣賞受賞 1957 「少女」(第41回院展出品)が第8回毎日美術賞 受賞 1962 「母子」(第46回院展出品)が第18回 日本美術院賞受賞 1976 日本芸術院会員に任命される 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性 会員 1978 文化功労者として顕彰され、日本美術院理事 に推挙 1980 文化勲章授章 女流画家としては上村松園以来であり、女性 として文化勲章を受けたのは三人目である 1981 「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」開催 (日本橋三越本店) 1984 滋賀県立近代美術館開館 「開館記念小倉遊亀回顧展」開催 1993 「白寿記念・小倉遊亀展」開催 (を日本橋三越本店、大阪三越) 1994 白寿を記念して、天皇・皇后両陛下より銀杯一 組と皇居の梅を下賜 1995 朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」開催 (日本橋三越) 1996 日本美術院名誉理事長に就任 1997 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」開催 1999 パリ三越エトワールにて海外初個展開催 「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催 2000 7月23日逝去 享年105歳 2001 「小倉遊亀回顧展」開催 (滋賀県立近代美術館) 2002 「小倉遊亀展」開催 (東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館)小倉遊亀 つぼみ(ぼたん) 同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀

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小倉遊亀 山茶花2 リトグラフ 1991

同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀小倉遊亀 山茶花2 リトグラフ 1991

作家名 小倉遊亀 制作年 1991 技法 リトグラフ 絵サイズ 縦39X横51cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦61.9X横74cm 額の状態 僅かに傷有 限定 150部 落款 朱 落 款 額の仕様 金茶色木生地額縁 マット ベージュ布マット 格安卸価格税込79,920円 発表価格 45万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小倉遊亀年譜(1895-2000) 1895 3月1日滋賀県大津市に生まれる (本名はゆき、旧姓は溝上) 1913 滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学 校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現奈良女子 大学)国語漢文部に入学 1917 奈良女子高等師範学校をを総代で卒業 京都第三高等小学校に着任 1919 椙山高等女学校教諭を務める 1920 横浜の捜眞女子校講師となる 安田靫彦に入門を許される 1926 第13回院展「胡瓜」初入選 以後落選なし 1932 奥村土牛と共に日本美術院同人推挙 女性初の同人となる 1938 山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚、それ以降 は鎌倉に居住した 1944 小倉鉄樹死去 1954 第四回上村松園賞を受賞 1955 「裸婦」(第39回院展出品)が芸能選奨美術部門 文部大臣賞受賞 1957 「少女」(第41回院展出品)が第8回毎日美術賞 受賞 1962 「母子」(第46回院展出品)が第18回 日本美術院賞受賞 1976 日本芸術院会員に任命される 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性 会員 1978 文化功労者として顕彰され、日本美術院理事 に推挙 1980 文化勲章授章 女流画家としては上村松園以来であり、女性 として文化勲章を受けたのは三人目である 1981 「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」開催 (日本橋三越本店) 1984 滋賀県立近代美術館開館 「開館記念小倉遊亀回顧展」開催 1993 「白寿記念・小倉遊亀展」開催 (を日本橋三越本店、大阪三越) 1994 白寿を記念して、天皇・皇后両陛下より銀杯一 組と皇居の梅を下賜 1995 朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」開催 (日本橋三越) 1996 日本美術院名誉理事長に就任 1997 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」開催 1999 パリ三越エトワールにて海外初個展開催 「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催 2000 7月23日逝去 享年105歳 2001 「小倉遊亀回顧展」開催 (滋賀県立近代美術館) 2002 「小倉遊亀展」開催 (東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館)小倉遊亀 山茶花2 同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀

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小倉遊亀 山茶花 リトグラフ 2002

同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀小倉遊亀 山茶花 リトグラフ 2002

作家名 小倉遊亀 制作年 2002 技法 リトグラフ 絵サイズ 縦31.8X横40.9cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦57.6X横66.8cm 額の状態 僅かに傷有 限定 250部 落款 朱 落 款 額の仕様 金日本画額縁 マット 金布マット 格安卸価格税込79,920円 発表価格 45万円 裏シールにテープ跡有り 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小倉遊亀年譜(1895-2000) 1895 3月1日滋賀県大津市に生まれる (本名はゆき、旧姓は溝上) 1913 滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学 校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現奈良女子 大学)国語漢文部に入学 1917 奈良女子高等師範学校をを総代で卒業 京都第三高等小学校に着任 1919 椙山高等女学校教諭を務める 1920 横浜の捜眞女子校講師となる 安田靫彦に入門を許される 1926 第13回院展「胡瓜」初入選 以後落選なし 1932 奥村土牛と共に日本美術院同人推挙 女性初の同人となる 1938 山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚、それ以降 は鎌倉に居住した 1944 小倉鉄樹死去 1954 第四回上村松園賞を受賞 1955 「裸婦」(第39回院展出品)が芸能選奨美術部門 文部大臣賞受賞 1957 「少女」(第41回院展出品)が第8回毎日美術賞 受賞 1962 「母子」(第46回院展出品)が第18回 日本美術院賞受賞 1976 日本芸術院会員に任命される 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性 会員 1978 文化功労者として顕彰され、日本美術院理事 に推挙 1980 文化勲章授章 女流画家としては上村松園以来であり、女性 として文化勲章を受けたのは三人目である 1981 「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」開催 (日本橋三越本店) 1984 滋賀県立近代美術館開館 「開館記念小倉遊亀回顧展」開催 1993 「白寿記念・小倉遊亀展」開催 (を日本橋三越本店、大阪三越) 1994 白寿を記念して、天皇・皇后両陛下より銀杯一 組と皇居の梅を下賜 1995 朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」開催 (日本橋三越) 1996 日本美術院名誉理事長に就任 1997 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」開催 1999 パリ三越エトワールにて海外初個展開催 「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催 2000 7月23日逝去 享年105歳 2001 「小倉遊亀回顧展」開催 (滋賀県立近代美術館) 2002 「小倉遊亀展」開催 (東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館)小倉遊亀 山茶花 同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀

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小倉遊亀 ほたるぶくろ 木版画 1987

同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀小倉遊亀 ほたるぶくろ 木版画 1987

作家名 小倉遊亀 制作年 1987 技法 木版画 絵サイズ 縦39.5X横31cm 絵の状態 良 好 額サイズ 縦65X横56.2cm 額の状態 ほぼ良好 限定 200部 サイン 刷り込サイン 落款 朱 落 款 刷 元アダチ版画研究所 額の仕様 金装飾額縁 マット ベージュ布マット 格安卸価格税込79,920円 発表価格 45万円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 小倉遊亀年譜(1895-2000) 1895 3月1日滋賀県大津市に生まれる (本名はゆき、旧姓は溝上) 1913 滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学 校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現奈良女子 大学)国語漢文部に入学 1917 奈良女子高等師範学校をを総代で卒業 京都第三高等小学校に着任 1919 椙山高等女学校教諭を務める 1920 横浜の捜眞女子校講師となる 安田靫彦に入門を許される 1926 第13回院展「胡瓜」初入選 以後落選なし 1932 奥村土牛と共に日本美術院同人推挙 女性初の同人となる 1938 山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚、それ以降 は鎌倉に居住した 1944 小倉鉄樹死去 1954 第四回上村松園賞を受賞 1955 「裸婦」(第39回院展出品)が芸能選奨美術部門 文部大臣賞受賞 1957 「少女」(第41回院展出品)が第8回毎日美術賞 受賞 1962 「母子」(第46回院展出品)が第18回 日本美術院賞受賞 1976 日本芸術院会員に任命される 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性 会員 1978 文化功労者として顕彰され、日本美術院理事 に推挙 1980 文化勲章授章 女流画家としては上村松園以来であり、女性 として文化勲章を受けたのは三人目である 1981 「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」開催 (日本橋三越本店) 1984 滋賀県立近代美術館開館 「開館記念小倉遊亀回顧展」開催 1993 「白寿記念・小倉遊亀展」開催 (を日本橋三越本店、大阪三越) 1994 白寿を記念して、天皇・皇后両陛下より銀杯一 組と皇居の梅を下賜 1995 朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」開催 (日本橋三越) 1996 日本美術院名誉理事長に就任 1997 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」開催 1999 パリ三越エトワールにて海外初個展開催 「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催 2000 7月23日逝去 享年105歳 2001 「小倉遊亀回顧展」開催 (滋賀県立近代美術館) 2002 「小倉遊亀展」開催 (東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館)小倉遊亀 ほたるぶくろ 同時代の女性像や静物を、力強い構成と 鮮やかな色彩で生き生きと描く小倉遊亀

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【版画・絵画】はりたつお『亀岡のこいのぼり』ジクレー■限定300部・新品★

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商品の詳細 作家名 はりたつお 作品名 亀岡のこいのぼり 技法 ジクレー 外径サイズ 45×37 cm 作品サイズ 29×24 cm 補足説明 作者版上サイン入り 状態 新品 付属品 額付 エディション 限定300部 ◆ はり たつお(Tatsuo Hari) ◆1974 鳥取県境港に生まれる(大阪育ち)。本名、畭 辰雄。1986 清家文博、故・中嶋たをに師事。1992 豊中市美術展、ターレンスジャパン賞、受賞。2000 愛媛新聞広告大賞作品にてCIデザインを担当。2001 江戸崎農業公園ポティロンの森のCMキャラクター製作(TV東京)。2003 社団法人日本グラフィックデザイナー協会、正会員。2005 社団法人日本グラフィックデザイナー協会主催JAGDAポスター展。2004 滋賀県文化振興事業団主催「はりたつお展」が報知新聞掲載。2005 わたむきホール虹エントランス窓面巨大装飾デザインを担当。2006 大阪難波丸善書店OCATギャラリーにて「はりたつお展」が河内新聞掲載。 文芸社出版大賞にて月間賞を受賞。 寝屋川市教育委員会主催「はりたつお展」開催。2008 Benesseの幼児向け英語教材のキャラクター絵本を手掛ける。2009 東京銀座の老舗画廊トップアート35周年記念作品に採用される。 東亜建設工業の企画カレンダーイメージイラストを手掛ける。2010 イオングループ「タキヤ」Webメインビジュアル製作。2011 ヤマト科学工業企業カレンダーを手掛ける。現在、社団法人 日本グラフィックデザイナー協会 正会員,日本アーキテクチュラル・レンダラーズ協会 正会員 ※ 本商品は、店舗等でも販売している為、 ご注文のタイミングによっては完売となる場合が御座います ので、その場合は、ご容赦下さい。 ■はりたつおの一覧 ※商品画像は、出来る限り商品の色合いに近付けて再現する様、心掛けておりますが、ご使用のモニタによっては実際の色合いと異なって見える場合が御座います。予め、ご了承下さい。 風景画_花畑_少年_バイオリン_京都_トロッコ列車_山_観光地_保津川

7300 円 (税込 / 送料別)

【版画・絵画】はりたつお『花の丸亀城』ジクレー■限定300部・新品★

【版画・絵画】はりたつお『花の丸亀城』ジクレー■限定300部・新品★

商品の詳細 作家名 はりたつお 作品名 花の丸亀城 技法 ジクレー 外径サイズ 46×38 cm 作品サイズ 28×24 cm 補足説明 作者サイン入り 状態 新品 付属品 額付 エディション 限定300部 1970年に放送を開始した「昆虫物語みなしごハッチ」は、これまで4度アニメとして映像化された作品です。ハッチが様々な仲間たちと関わり合いながら、生き別れになったお母さんを探すストーリーは 今でも愛され続け、お子さんからご年配まで世代問わず楽しめるタツノコプロの代表作の一つです。そんな「ハッチ」の世界を、タツノコプロ55周年記念を迎えた一環として、風景画家でもあり絵本作家としても活躍するはりたつお氏が、40年以上の時を経て新しくアート作品として手掛けました。図柄ごとに作家のサイン、エディションつきの版画作品で数量限定販売です。◆ はり たつお(Tatsuo Hari) ◆1974 鳥取県境港に生まれる(大阪育ち)。本名、畭 辰雄。1992 豊中市美術展、ターレンスジャパン賞、受賞。2000 愛媛新聞広告大賞作品にてCIデザインを担当。2001 江戸崎農業公園ポティロンの森のCMキャラクター製作(TV東京)。2003 社団法人日本グラフィックデザイナー協会、正会員。2005 社団法人日本グラフィックデザイナー協会主催JAGDAポスター展。2004 滋賀県文化振興事業団主催「はりたつお展」が報知新聞掲載。2005 わたむきホール虹エントランス窓面巨大装飾デザインを担当。2006 大阪難波丸善書店OCATギャラリーにて「はりたつお展」が河内新聞掲載。2008 Benesseの幼児向け英語教材のキャラクター絵本を手掛ける。2009 東京銀座の老舗画廊トップアート35周年記念作品に採用される。2010 イオングループ「タキヤ」Webメインビジュアル製作。2011 ヤマト科学工業企業カレンダーを手掛ける。現在、社団法人 日本グラフィックデザイナー協会 正会員,日本アーキテクチュラル・レンダラーズ協会 正会員 ※ 本商品は、店舗等でも販売している為、 ご注文のタイミングによっては完売となる場合が御座います ので、その場合は、ご容赦下さい。 ■はりたつおの一覧 ※商品画像は、出来る限り商品の色合いに近付けて再現する様、心掛けておりますが、ご使用のモニタによっては実際の色合いと異なって見える場合が御座います。予め、ご了承下さい。 風景画_天守閣_堀_石垣_花火_名城_ミツバチ_てんとう虫_アニメ

10450 円 (税込 / 送料別)

■龍香堂■「劉長青」復刻木版 歌川広重浮世絵『亀山(雪晴)』

手摺木版で忠実に復刻した作品です■龍香堂■「劉長青」復刻木版 歌川広重浮世絵『亀山(雪晴)』

外寸:415×310mm 画面サイズ:363×235mm 技法(種別):木版画 紙質:和紙 ●世界的浮世絵師、歌川広重。その『東海道五十三次絵』中の『亀山(雪晴)』です。龍香堂と親交の有る版画研究室から買い取りました。広重の描いた自然な美を、手摺木版で忠実に復刻した作品です。 ◎当品は和紙1枚の状態です。額飾しておりません。 ◎同浮世絵の額飾済み商品をご希望の際は、落札後にお知らせ下さい。 金額は「浮世絵込みで7350円(税込み)+送料」になります(送料は発送先により金額が変わります。商品御落札後こちらから送料込みの合計等お知らせ致します)。 額装サイズ:525×425×厚35mm 約2kg(宅急便140cmサイズ) ※画像3は裏面の画像と使用した版木です。版画用染料が裏写りしているのは、印刷ではないことの証しです。 ●歌川広重(Hiroshige Utagawa)江戸の下級武士・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生、天保3年(1832年)秋、幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつともされている。 【作品解説】「亀山 雪晴」(かめやま ゆきばれ): 雪が止み、澄みきった藍の空の美しさ。その明るさに映える亀山城から城下の町家を半分に描き、斜面に降り積もった雪が陽に輝くなか、その静かさの中を行列が連なって行く。朝の清々しい空気が画面から滲み出る様である。広重は月・雨・雪を題材にした図を得意としているが、そのどれもが詩情豊かな情感溢れる秀作ばかりである。 ※製作者プロフィール【劉 長青】(りゅう ちょうせい) 1955年 7月9日中国山東省生まれ。 中国山東省工芸美術学院絵画専業卒業。中国北京中央美術学院版画学部版画専業修了。中国政府派遣版画研究のため来日(東京芸術大学版画研究室)。「中国版画展」「世界版画展」「美術展覧」等において入選、受賞。 ※1995年・中国政府に「特殊貢献の優秀人材」の称号を受ける。 2001年・中国政府派遣再来日(東京芸術大学版画研究室、客員研究員) 現在は、東京芸術大学美術学部版画研究室、客員研究員。中国済南日報社高級編輯(教授職)。中国版画家協会会員・山東省版画家協会副会長・済南市版画学会会長。山東省新聞美術家協会副主席・山東建築工程大学芸術デザイン学部客員教授。 作品収蔵(略) :栃木県足利学校(孔子記念館)・アメリカ・ポーランド・スウェーデン・スペイン・フランス・中国美術館・中国神州版画博物館・広東美術館・山東省美術館・四川省美術館等。※当商品は定形外郵便で発送致します。送料は、重量50~100g(規格外)220円をお願い致します。 ※代引き発送を御希望の場合は、諸費用で1000円をお願いしております。 ※当方から合計金額等のメールを送信後 、1週間以内に御振り込み、もしくは御返信を頂けなかった場合はキャンセルとさせて頂きます。 ※こちらの商品を御注文頂きます時に、支払方法を「代引発送」にされますと、楽天から自動送信されますメールにはシステム上、代引き料金が350円と記載される事が御座います。この場合は龍香堂から改めまして合計金額をお知らせさせて頂きますので、必ずご確認下さいますようお願い致します。

12100 円 (税込 / 送料別)

【版画・絵画】小倉遊亀『椿など』木版画■限定330部・新品★

【版画・絵画】小倉遊亀『椿など』木版画■限定330部・新品★

商品の詳細 作家名 小倉遊亀 作品名 椿など 技法 木版画 外径サイズ 66×58 cm 作品サイズ 46×38 cm 補足説明 版上サイン・落款入り 状態 新品 付属品 額付 エディション 限定330部 ◆ 小倉 遊亀(Yuki Ogura)◆1895 3月1日、滋賀県大津市に生まれる。本名、小倉ゆき(旧姓、溝上)。1913 県立大津高等女学校卒業、奈良女子高等師範学校に入学。選択科目として図画を履修。 水木要太郎と横山常太郎に多くを学ぶ。1917 奈良女子高等師範学校を総代で卒業。1920 教職生活の傍ら制作活動を続け、安田靫彦に入門を許される。1922 日本美術院試作展に入選。1926 第十三回院展に「胡瓜」が初入選。以後連続入選を果たす。1932 女性として初めて、日本美術院同人となる。1936 小倉鉄樹氏と結婚。1951 「小女」により、第八回毎日美術賞を受賞(東京国立近代美術館蔵)。1954 「O夫人坐像」により、第四回上村松園賞を受賞(東京国立近代美術館蔵)。1955 「裸婦」により、芸術選奨文部大臣賞を受賞。1962 「母子」により、日本芸術院賞を受賞。1976 日本芸術院会員となる。1973 勲三等瑞宝章を受章。1975 神奈川文化賞を受賞。1978 文化功労者となる。1979 滋賀県文化賞を受賞。1980 文化勲章を受章。1981 大津市名誉市民となる。1990 奥村土牛の跡を継ぎ、日本美術院理事長に就任。2000 7月23日、105歳という長寿を全うして、鎌倉にて逝去。 ※ 本商品は、店舗等でも販売している為、 ご注文のタイミングによっては完売となる場合が御座います ので、その場合は、ご容赦下さい。 ■小倉遊亀の一覧 ※商品画像は、出来る限り商品の色合いに近付けて再現する様、心掛けておりますが、ご使用のモニタによっては実際の色合いと異なって見える場合が御座います。予め、ご了承下さい。 静物画_植物_花_華_花瓶_陶器_季節冬_ツバキ_つばき_おぐらゆうき

203500 円 (税込 / 送料別)

■龍香堂■☆復刻木版画 歌川広重 浮世絵『亀戸梅屋舗』

手摺木版で忠実に復刻した作品です。■龍香堂■☆復刻木版画 歌川広重 浮世絵『亀戸梅屋舗』

技法(種別):木版画 紙質:和紙 外寸:425×310mm 印面サイズ:375×258mm 世界的浮世絵師、歌川広重。その『名所江戸百景』中の『亀戸梅屋舗』です。龍香堂と親交の有る版画研究室から買い取りました。広重の描いた自然な美を、手摺木版で忠実に復刻した作品です。 ※画像3、右は裏面の画像、中は使用した版木です。版画用染料が裏写りしているのは、印刷ではないことの証しです。 ●歌川広重(Hiroshige Utagawa) 江戸の下級武士・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生、天保3年(1832年)秋、幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつともされている。 【作品解説】名所江戸百景「亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)」 近景を大写しにし、遠くを望む広重好みのダイナミックな構図で、このシリーズの代表作の一つといえる。亀戸梅屋舗は、亀戸天神から北東300メートル足らずのところに、梅屋舗と呼ばれる梅の名園があった。中でもそこにあった 「臥龍梅」(がりょうばい)と呼ばれる梅が有名で、シーズンともなると大勢の人が訪れて大変賑わった。現在梅園はすでになく、銘木の跡には、石碑が立っている。 画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)は、深く日本に傾倒し、この「亀戸梅屋舗」を油彩で模写した(画像3左下は特集冊子)。浮世絵を目にしたゴッホが、新たな色彩表現に目覚め、模写をしながら彼なりの「日本」的イメージを紡ぎつつ新しい様式と構成を模索したと言われている。※当商品は定形外郵便で発送致します。送料は、重量50~100g(規格外)220円をお願い致します。 ※代引き発送を御希望の場合は、諸費用で1000円をお願いしております。 ※当方から合計金額等のメールを送信後、1週間以内に御振り込み、もしくは御返信を頂けなかった場合はキャンセルとさせて頂きます。 ※こちらの商品を御注文頂きます時に、支払方法を「代引発送」にされますと、楽天から自動送信されますメールにはシステム上、代引き料金が350円と記載される事が御座います。この場合は龍香堂から改めまして合計金額をお知らせさせて頂きますので、必ずご確認下さいますようお願い致します。

13200 円 (税込 / 送料別)

■龍香堂■ 復刻木版浮世絵 葛飾北斎『七福神宝船』

手摺木版で忠実に復刻した作品です■龍香堂■ 復刻木版浮世絵 葛飾北斎『七福神宝船』

外寸(約):315×430mm 絵サイズ(約):248×372mm 技法(種別):木版画 紙質:和紙 ●世界的芸術家、葛飾北斎が雅号を「勝川春朗」と名乗っていた30歳代頃の復刻作品です。龍香堂と親交の有る版画研究室から買い取りました。北斎の描いた見事な色彩を、手摺木版で忠実に再現した作品です。 ◎当品は和紙1枚の状態です。額飾しておりません。 ※画像4は版木の一部と裏面の画像です。版画用染料が裏写りしているのは、印刷ではないことの証しです。 【作品解説】「七福神宝船」(しちふくじんたからぶね):七柱の福の神が龍頭の船に乗り、鶴と亀まで描かれた吉祥この上ない浮世絵である。更に左上には「なかきよの とをのねふりの ミなめさめ なミのりふねの をとのよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」と、縁起の良い回文も添えられている。江戸時代には宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られると信じられており、宝船売りが縁起物の宝船の絵を売り歩いていたという。当品もそれ倣ったのであろうか如何にも吉夢を呼び込めそうな逸品である。※当商品は定形外郵便で発送致します。送料は、重量50~100g(規格外)220円をお願い致します。 ※代引き発送を御希望の場合は 、諸費用で1000円をお願いしております。 ※当方から合計金額等のメールを送信後 、1週間以内に御振り込み、もしくは御返信を頂けなかった場合はキャンセルとさせて頂 きます。 ※こちらの商品を御注文頂きます時に、支払方法を「代引発送」にされますと 、楽天から自動送信されますメールにはシステム上、代引き料金が350円と記載される 事が御座います。この場合は龍香堂から改めまして合計金額をお知らせさせて頂きますの で、必ずご確認下さいますようお願い致します。

12100 円 (税込 / 送料別)

吉岡浩太郎・亀(絵画・色紙)

吉岡浩太郎・亀(絵画・色紙)

色紙:シルクスクリーン刷り額サイズ:41 x 38cm額付価格

6300 円 (税込 / 送料別)