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【輸入盤】 アナトリー・ヴェデルニコフの芸術(17CD) 【CD】
出荷目安の詳細はこちら商品説明アナトリー・ヴェデルニコフの芸術(17CD)ソ連ものに強いイギリスのスクリベンダム・レーベルから、アナトリー・ヴェデルニコフの17枚組セットが登場。諸事情あってオモテ舞台にはあまり出なかったヴェデルニコフですが、その演奏の独特な魅力によって、マニアの間ではカルト的なピアニストとして有名な存在。 ヴェデルニコフはハルビンの生まれで、満洲や中国、日本で初期のキャリアを築き、東京に8か月間滞在してレオ・シロタのもとで腕をあげるなど、日本とも縁の深い人物。 その演奏は、揺るぎのない高度な技巧により、感情におもねることなく作品の姿を明確に示すのが特徴で、背景にはヴェデルニコフが非常に研究熱心で、たとえばバッハのパルティータを録音するために、カンタータ全曲を勉強するなど、その方法は時間と手間をかけた徹底的なものだったと言います。 実際、ヴェデルニコフのバッハ録音は峻厳な素晴らしい演奏ですし、自身のヴァージョンによる尖鋭な『ペトルーシュカ』(ペトルーシュカの死と亡霊も含む)や、独特の抒情が際立つ『月光ソナタ』、凄まじい迫力のプロコフィエフ『悪魔的暗示』など、作品に応じて突き詰められたスタイルは、バロックから現代にいたる幅広い作品を見事な説得力で聴かせます。特に20世紀音楽については、政府受けが悪い作品でも熱心にとりあげ、それが原因で長きに渡って文化省の不興を買い、活動範囲が限定される要因にもなっていましたが、ヴェデルニコフは方針を改めたりはしませんでした。 そうした政府による制限もあって、自分の不運をぼやきがちだったヴェデルニコフですが、同じく父親を処刑されていた妻のオリガとは、半世紀に渡って結婚生活を維持し、息子ユーリも立派な画家に育つなど、私生活にはとても恵まれていたようです。 ヴェデルニコフが半世紀に渡って住み続けた別荘(ダーチャ、下の画像)は、オリガの父、哲学者のゲッケルがモスクワ近郊のクリャーズマに建てた古い物件で、冬はとても寒かったものの、ヴェデルニコフはそこで音楽の研究に加えて、哲学や文学に親しみ、英語やフランス語も習得、アメリカやイギリスのラジオを聞き、健康維持も兼ねてヨガに興じてもいました(このページ最後の画像)。略年表1920■ハルビンで誕生。両親はモスクワから来たロシア人。当時のハルビンはロシア人が半数を占める街。1926■ハルビンでピアノのレッスンを開始。教師はヴェラ・ディロン。1933■ハルビン高等音楽院を13歳で首席で卒業。満洲、中国などで演奏活動を開始。天才少年ピアニストとして人気。1935■東京でレオ・シロタに師事。演奏会、放送にも多数出演。1936■モスクワに転居。すぐには住居が見つからず、夏だったこともあり、家族はしばらく馬車で生活。■モスクワ音楽院でネイガウスに師事。1937■初のレコーディング。■新入生で5歳年長のリヒテルと親交。4手ピアノ・コンサートも開催。■両親が逮捕、父親は銃殺、母親は強制収容所行き。1938■オリガの父親が逮捕、銃殺。1941■親友リヒテルの父親逮捕、銃殺。■オリガの母親と姉妹3人が逮捕され強制収容所行き。■ネイガウス逮捕。1942■音楽マネジメント組織「モスコンツェルト」にピアニストとして登録。■オリガと結婚。1943■長男ユーリ誕生。1944■ネイガウス、モスクワに復帰。1945■全ソ連音楽家コンクールで予選落ち。ネイガウスによる低評価が原因。優勝はメルジャーノフとリヒテル。1959■グネーシン研究所に配属。グートマンの尽力。1963■グネーシン研究所で准教授に昇進。■ソ連生活27年目で初の海外ツアー(東側)実施。1980■モスクワ音楽院に配属。メルジャーノフの尽力。■初の西側ツアー実施。1983■ソ連政府より「ロシア共和国功労芸術家」の称号を叙勲。1990■文化省の公式代表団の一員として、デュースブルクのプロコフィエフ音楽祭に参加。開幕スピーチも担当。1993■胃癌により死去。来日公演直前。ハルビンヴェデルニコフの父親は、ロシア帝国時代のモスクワで貿易商を営んでいたロシア人で、ロシア革命の内戦の激化により、旧中華民国のハルビンに居を移し、文房具店などで働いていました。 ロシア人によって多くが建設され、「東洋のパリ」「東のモスクワ」などとも呼ばれたハルビンは、極東ロシアのウラジオストク(ヴラヂヴォストーク)の北西約500キロに位置し、モスクワからの距離は約6,000km、東京からは約1,600kmという内陸の街。 1920年5月3日にハルビンに生まれたヴェデルニコフは、両親が偶然手に入れたピアノに幼い時から夢中になり、その後、地元ハルビンでヴェラ・ディロンに師事し、やがて1933年、ハルビン高等音楽院を13歳で首席で卒業。天才少年ピアニストとして満洲国や中国で活躍するようになります。 なお、リヒテルはヴェデルニコフの実の親がオペラ歌手だったと述べていますが、ソ連のオペラ界にアレクサンドル・ヴェデルニコフという歌手がいたので、混同したものと思われます。ヴェデルニコフ本人によると両親の家系ではヴェデルニコフだけが音楽家ということでした。東京1935年11月、ヴェデルニコフ家、来日。一家は翌1936年7月まで8か月間に渡って日本に滞在。ヴェデルニコフは東京で演奏会を6回開催したほか、ラジオでも多数演奏。当時、すでに東京は上海租界と並ぶアジア最大規模の西洋音楽の市場で、ヴェデルニコフは「極東アジアの天才少年ピアニスト」と称えられるようになります。 成功はしてもまだ満足していなかったヴェデルニコフは、東京、赤坂のレオ・シロタ[1885-1965]の自宅に通い、シロタの教えを受けます。シロタは1928年のソ連ツアーのあとにハルビンを訪れて8回の演奏会を実施、感激した山田耕作がシロタに日本ツアーを要請したことで日本を訪れ、翌1929年には再び来日。今度は家族と一緒で、以後、第2次大戦終結までの16年間、日本に滞在。当時の日本には、ロシア革命を逃れてやってきた白系ロシア人など外国人が多く暮らしており、シロタもピアニスト、教師として活動していました。シロタはヴェデルニコフに対し、引き続きピアノを学んだほうが良いと語り、モスクワのゲンリフ・ネイガウスか、アメリカのヨゼフ・ホフマンに師事することを勧めています。モスクワ1936年2月に「二・二六事件」が勃発したことで、東京市では戒厳令が発令され、7月までの5か月近くに渡って市民生活は少し不自由になり、その間、ナチス・ドイツはラインラントに進駐、ムッソリーニは第2次エチオピア戦争で勝利を収め、スペイン内戦も始まるなど、世界情勢はきな臭いものとなりつつありました。 一方で祖国は「ロシア帝国」から「ソ連」へと姿を変え、華々しい文化や芸術、工業技術や先進的な生活様式に関する盛んなプロパガンダによって、「ソ連」での暮らしぶりは、内戦を避けて国外に居住していた者にはとても良いものと映るようになっていました。 ヴェデルニコフの両親も、祖国が「ソ連」という華やかな国に生まれ変わったと受け止め、もともと反革命・反赤軍で「亡命」した「白系ロシア人」ではなかったこともあり、帰国を決意して1936年7月にモスクワに戻っています。 しかし多くの人がモスクワを目指したことで、ヴェデルニコフ家の住居はなかなか見つからず、夏だったこともあり、しばらくは馬車で生活することを余儀なくされていました。 ほどなくヴェデルニコフはモスクワ音楽院に入学し、レオ・シロタの助言に従いゲンリフ・ネイガウスに師事。ネイガウスはヴェデルニコフの実力を高く評価し、後年、自分の教えた生徒たちの中で、リヒテル、ギレリス、ザークと共に、傑出した存在だったと述べています。 ヴェデルニコフの実力はネイガウス以外にもすぐに認められ、翌1937年には、初のレコーディングもおこなっています。また、この年には、1年遅れて入学してきた5歳年長のリヒテルと親交を結ぶようにもなっています。ヴェデルニコフの両親、オリガの両親と姉妹が逮捕馬車生活から抜け出し、モスクワにも慣れた頃、ヴェデルニコフの父親がNKVD(秘密警察)により逮捕。当時、ハルビンなど「満洲国」からの帰国者の多くは日本のスパイという嫌疑がかけられ、さらにヴェデルニコフ家の場合、日本に長期滞在していたことで、嫌疑が重くなり、「人民の敵」として銃殺。母親も「人民の敵」の妻ということで逮捕され、懲役8年の刑で強制収容所に送致、刑期満了後もモスクワへの帰還は許されませんでした。ヴェデルニコフ本人はまだ少年だったことで逮捕の対象とはならず、難を逃れることができましたが、衝撃は大きかったようです。 なお、翌1938年には、哲学者ユーリ・フョードロヴィチ・ゲッケル[1881-1938]が、宗教教育活動の嫌疑により「人民の敵」として銃殺。1928年の最初の逮捕から10年を経ての再逮捕でした。 3年後の1941年、独ソ戦が始まると、ゲッケルがドイツ系だったことで、未亡人と5人の娘たちにも逮捕状が出されますが、たまたま不在だったオリガと、乳飲み子がいたマルチェラは逮捕を免れています。また、強制収容所送りになった未亡人と3人の娘も、その後、全員生還しています。 これは「大粛清」をあまりにも過剰なものとしてしまったエジョフ長官がスターリンに解任され、ベリヤがNKVDの長官となったことで緩和されたことによるものでした。…
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