「乾物 > 干ししいたけ」の商品をご紹介します。

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 120g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 120g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

乾ししいたけ ■ どんこ 傘が開ききらないうちに収穫した肉厚で丸みを帯びたもの。なかでも傘の色が薄く亀の甲羅のような美しい模様が入っているものは、さまざまな気象条件が揃ったときにだけ収穫できる高級品とされ、進物にも使われています。 肉厚でうま味をたっぷり含んだ「どんこ」の中から、色、形、大きさを選んで箱に詰めました。 ■ 姫野一郎商店 どうして、大分のしいたけ栽培はこれほど盛んなのでしょう? それは、しいたけの歴史が大分で始まったからなのです。しいたけ栽培の歴史は、 いまから約400年前のこと、江戸時代の初期に始まったと言われています。当時の佐 伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいました。彼は宇目に出稼ぎ に行き炭焼きをして生計を立てていましたが、あるとき、炭焼き用の材木にしいた けが生えているのを発見したのです。 源兵衛翁は、これを見て人工的にしいたけの栽培をすることを思いつきました。こ れこそが大分のしいたけの発祥。栽培法は、宇目から県下一帯、そして九州一円に 伝わって行ったと言われています。山口県に残っている明治時代のある記録には、 「しいたけ製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」とあるそうです。 しいたけの菌が好むクヌギの森が多いことも、しいたけ栽培が普及するカギでした。 現在は、クヌギの原木に菌を植える「コマ打ち」という方法で栽培されていますが 、源兵衛翁がはじめた最初の頃、しいたけ栽培の方法は、クヌギの木に刃物で傷を つけ、そこに飛んでくるしいたけの胞子が自然に付着するのを待つ方法でした。 姫野一郎商店のある大分県竹田市でも、多くの生産者たちが山奥に住みながら、こ の方法でしいたけを栽培していました。 そして今から約140年前の明治時代、姫野万治が提灯やろうそくを取り扱う姫野商店 として創業したのがはじまり。2代目姫野勝太郎が乾し椎茸等の山産物を取扱いを はじめました。 万治の息子・勝太郎は、生産者の住む山奥までリヤカーを引っ張っていき、収穫さ れたしいたけを集めてまわったといいます。 この頃、しいたけはダシが取れてそのまま食べることもできる貴重品で、収穫した しいたけは飛ぶように売れた時代でした。ちなみに当時は乾燥機などないので、炭 火でしいたけを乾燥させていました。乾燥させるのには保存の意味合いがあったほ か、栄養分や旨味成分が増すこともすでに分かっていたそうです。 生産者から直接買い付けることで、品質に信頼を得ていた姫野のしいたけ。<二代 目>勝太郎の息子・一郎の代になったとき、ついに会社組織を立ち上げます。「姫 野一郎商店」の誕生です。 この頃にはしいたけ栽培の研究も進み、胞子が付くのを待たずとも、菌を直接原木 に打ち込める「種コマ」が開発され、<三代目>一郎は生産者たちにこれを普及し てまわりました。そして一郎は、種コマを販売した生産者に「収穫したものをうち に納めてください」とお願いして歩きます。これが「契約栽培」の始まり。やがて 世間には、姫野一郎商店と同じような問屋が多く出来はじめ、明治40年には現在の 大分県椎茸農業協同組合も発足。姫野一郎商店の歴史は、大分のしいたけの歴史と ともに歩んできたのです。 それから<四代目>勝俊、現在の<五代目>武俊にいたるまで、姫野一郎商店が最 も大切にしてきたことは「生産者を大切にする」ということ。生産者なくして、商 売はできません。二代目の勝太郎が山までリヤカーで上がっていたのは、車のない 生産者の労力を思ってのこと。その場で現金に換金もしていたのですが、当店はそ うして生産者たちに誠意を尽くし、信頼関係を築いてきました。 そのおかげで、生産者のほうから、進んで収穫したしいたけを納めに来て頂けるま でになりました。生産者はしいたけと交換したお金で子どもを学校に行かせたり、 その収入を日々の生活費に充てるなど、しいたけ栽培は地域の生活文化と共に育っ てきました。お互いに助け助けられの関係で、常に「生産者と一緒に」歩んできま した。この信頼関係のおかげで、外国産のしいたけが流入してきた時代にも、安全 ・安心な大分県産100%のしいたけにこだわり、安定した品質を保つことができてい ます。 現在、五代目の姫野武俊が受け継ぐ「姫野一郎商店」は、新しい取り組みにも挑戦 しています。それは、「本物のしいたけを世界に広め、食文化を育てたい」という こと。 140年の歴史で培ったしいたけ問屋としての目利き能力、そして安定した良質なしい たけを確保できる能力。それらを結集したレシピの提案、加工品の開発にいますべ ての知恵と情熱を注いでいます。 「しいたけ」が「SHIITAKE」として世界に羽ばたく日を夢見て。姫野一郎商店の歴 史は続きます。 商品名 どんこ箱 名称 しいたけ 内容量 120g 商品コード J4930652003967 原材料 しいたけ(原木) 保存方法 常温保存 製造者 株式会社 姫野一郎商店 大分県竹田市大字会々2718 区分 食品

4740 円 (税込 / 送料込)

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 120g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

3,980円以上のご購入で送料無料(沖縄含む)/土日祝日発送:肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 120g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

乾ししいたけ ■ どんこ 傘が開ききらないうちに収穫した肉厚で丸みを帯びたもの。なかでも傘の色が薄く亀の甲羅のような美しい模様が入っているものは、さまざまな気象条件が揃ったときにだけ収穫できる高級品とされ、進物にも使われています。 肉厚でうま味をたっぷり含んだ「どんこ」の中から、色、形、大きさを選んで箱に詰めました。 ■ 姫野一郎商店 どうして、大分のしいたけ栽培はこれほど盛んなのでしょう? それは、しいたけの歴史が大分で始まったからなのです。しいたけ栽培の歴史は、 いまから約400年前のこと、江戸時代の初期に始まったと言われています。当時の佐 伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいました。彼は宇目に出稼ぎ に行き炭焼きをして生計を立てていましたが、あるとき、炭焼き用の材木にしいた けが生えているのを発見したのです。 源兵衛翁は、これを見て人工的にしいたけの栽培をすることを思いつきました。こ れこそが大分のしいたけの発祥。栽培法は、宇目から県下一帯、そして九州一円に 伝わって行ったと言われています。山口県に残っている明治時代のある記録には、 「しいたけ製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」とあるそうです。 しいたけの菌が好むクヌギの森が多いことも、しいたけ栽培が普及するカギでした。 現在は、クヌギの原木に菌を植える「コマ打ち」という方法で栽培されていますが 、源兵衛翁がはじめた最初の頃、しいたけ栽培の方法は、クヌギの木に刃物で傷を つけ、そこに飛んでくるしいたけの胞子が自然に付着するのを待つ方法でした。 姫野一郎商店のある大分県竹田市でも、多くの生産者たちが山奥に住みながら、こ の方法でしいたけを栽培していました。 そして今から約140年前の明治時代、姫野万治が提灯やろうそくを取り扱う姫野商店 として創業したのがはじまり。2代目姫野勝太郎が乾し椎茸等の山産物を取扱いを はじめました。 万治の息子・勝太郎は、生産者の住む山奥までリヤカーを引っ張っていき、収穫さ れたしいたけを集めてまわったといいます。 この頃、しいたけはダシが取れてそのまま食べることもできる貴重品で、収穫した しいたけは飛ぶように売れた時代でした。ちなみに当時は乾燥機などないので、炭 火でしいたけを乾燥させていました。乾燥させるのには保存の意味合いがあったほ か、栄養分や旨味成分が増すこともすでに分かっていたそうです。 生産者から直接買い付けることで、品質に信頼を得ていた姫野のしいたけ。<二代 目>勝太郎の息子・一郎の代になったとき、ついに会社組織を立ち上げます。「姫 野一郎商店」の誕生です。 この頃にはしいたけ栽培の研究も進み、胞子が付くのを待たずとも、菌を直接原木 に打ち込める「種コマ」が開発され、<三代目>一郎は生産者たちにこれを普及し てまわりました。そして一郎は、種コマを販売した生産者に「収穫したものをうち に納めてください」とお願いして歩きます。これが「契約栽培」の始まり。やがて 世間には、姫野一郎商店と同じような問屋が多く出来はじめ、明治40年には現在の 大分県椎茸農業協同組合も発足。姫野一郎商店の歴史は、大分のしいたけの歴史と ともに歩んできたのです。 それから<四代目>勝俊、現在の<五代目>武俊にいたるまで、姫野一郎商店が最 も大切にしてきたことは「生産者を大切にする」ということ。生産者なくして、商 売はできません。二代目の勝太郎が山までリヤカーで上がっていたのは、車のない 生産者の労力を思ってのこと。その場で現金に換金もしていたのですが、当店はそ うして生産者たちに誠意を尽くし、信頼関係を築いてきました。 そのおかげで、生産者のほうから、進んで収穫したしいたけを納めに来て頂けるま でになりました。生産者はしいたけと交換したお金で子どもを学校に行かせたり、 その収入を日々の生活費に充てるなど、しいたけ栽培は地域の生活文化と共に育っ てきました。お互いに助け助けられの関係で、常に「生産者と一緒に」歩んできま した。この信頼関係のおかげで、外国産のしいたけが流入してきた時代にも、安全 ・安心な大分県産100%のしいたけにこだわり、安定した品質を保つことができてい ます。 現在、五代目の姫野武俊が受け継ぐ「姫野一郎商店」は、新しい取り組みにも挑戦 しています。それは、「本物のしいたけを世界に広め、食文化を育てたい」という こと。 140年の歴史で培ったしいたけ問屋としての目利き能力、そして安定した良質なしい たけを確保できる能力。それらを結集したレシピの提案、加工品の開発にいますべ ての知恵と情熱を注いでいます。 「しいたけ」が「SHIITAKE」として世界に羽ばたく日を夢見て。姫野一郎商店の歴 史は続きます。 商品名 どんこ箱 名称 しいたけ 内容量 120g 商品コード J4930652003967 原材料 しいたけ(原木) 保存方法 常温保存 メーカー 株式会社 姫野一郎商店 大分県竹田市大字会々2718 区分 食品 広告文責 コスメボックス 097-543-1871

4740 円 (税込 / 送料別)

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 160g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 160g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

乾ししいたけ ■ どんこ 傘が開ききらないうちに収穫した肉厚で丸みを帯びたもの。なかでも傘の色が薄く亀の甲羅のような美しい模様が入っているものは、さまざまな気象条件が揃ったときにだけ収穫できる高級品とされ、進物にも使われています。 肉厚でうま味をたっぷり含んだ「どんこ」の中から、色、形、大きさを選んで箱に詰めました。 ■ 姫野一郎商店 どうして、大分のしいたけ栽培はこれほど盛んなのでしょう? それは、しいたけの歴史が大分で始まったからなのです。しいたけ栽培の歴史は、 いまから約400年前のこと、江戸時代の初期に始まったと言われています。当時の佐 伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいました。彼は宇目に出稼ぎ に行き炭焼きをして生計を立てていましたが、あるとき、炭焼き用の材木にしいた けが生えているのを発見したのです。 源兵衛翁は、これを見て人工的にしいたけの栽培をすることを思いつきました。こ れこそが大分のしいたけの発祥。栽培法は、宇目から県下一帯、そして九州一円に 伝わって行ったと言われています。山口県に残っている明治時代のある記録には、 「しいたけ製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」とあるそうです。 しいたけの菌が好むクヌギの森が多いことも、しいたけ栽培が普及するカギでした。 現在は、クヌギの原木に菌を植える「コマ打ち」という方法で栽培されていますが 、源兵衛翁がはじめた最初の頃、しいたけ栽培の方法は、クヌギの木に刃物で傷を つけ、そこに飛んでくるしいたけの胞子が自然に付着するのを待つ方法でした。 姫野一郎商店のある大分県竹田市でも、多くの生産者たちが山奥に住みながら、こ の方法でしいたけを栽培していました。 そして今から約140年前の明治時代、姫野万治が提灯やろうそくを取り扱う姫野商店 として創業したのがはじまり。2代目姫野勝太郎が乾し椎茸等の山産物を取扱いを はじめました。 万治の息子・勝太郎は、生産者の住む山奥までリヤカーを引っ張っていき、収穫さ れたしいたけを集めてまわったといいます。 この頃、しいたけはダシが取れてそのまま食べることもできる貴重品で、収穫した しいたけは飛ぶように売れた時代でした。ちなみに当時は乾燥機などないので、炭 火でしいたけを乾燥させていました。乾燥させるのには保存の意味合いがあったほ か、栄養分や旨味成分が増すこともすでに分かっていたそうです。 生産者から直接買い付けることで、品質に信頼を得ていた姫野のしいたけ。<二代 目>勝太郎の息子・一郎の代になったとき、ついに会社組織を立ち上げます。「姫 野一郎商店」の誕生です。 この頃にはしいたけ栽培の研究も進み、胞子が付くのを待たずとも、菌を直接原木 に打ち込める「種コマ」が開発され、<三代目>一郎は生産者たちにこれを普及し てまわりました。そして一郎は、種コマを販売した生産者に「収穫したものをうち に納めてください」とお願いして歩きます。これが「契約栽培」の始まり。やがて 世間には、姫野一郎商店と同じような問屋が多く出来はじめ、明治40年には現在の 大分県椎茸農業協同組合も発足。姫野一郎商店の歴史は、大分のしいたけの歴史と ともに歩んできたのです。 それから<四代目>勝俊、現在の<五代目>武俊にいたるまで、姫野一郎商店が最 も大切にしてきたことは「生産者を大切にする」ということ。生産者なくして、商 売はできません。二代目の勝太郎が山までリヤカーで上がっていたのは、車のない 生産者の労力を思ってのこと。その場で現金に換金もしていたのですが、当店はそ うして生産者たちに誠意を尽くし、信頼関係を築いてきました。 そのおかげで、生産者のほうから、進んで収穫したしいたけを納めに来て頂けるま でになりました。生産者はしいたけと交換したお金で子どもを学校に行かせたり、 その収入を日々の生活費に充てるなど、しいたけ栽培は地域の生活文化と共に育っ てきました。お互いに助け助けられの関係で、常に「生産者と一緒に」歩んできま した。この信頼関係のおかげで、外国産のしいたけが流入してきた時代にも、安全 ・安心な大分県産100%のしいたけにこだわり、安定した品質を保つことができてい ます。 現在、五代目の姫野武俊が受け継ぐ「姫野一郎商店」は、新しい取り組みにも挑戦 しています。それは、「本物のしいたけを世界に広め、食文化を育てたい」という こと。 140年の歴史で培ったしいたけ問屋としての目利き能力、そして安定した良質なしい たけを確保できる能力。それらを結集したレシピの提案、加工品の開発にいますべ ての知恵と情熱を注いでいます。 「しいたけ」が「SHIITAKE」として世界に羽ばたく日を夢見て。姫野一郎商店の歴 史は続きます。 商品名 どんこ箱 名称 しいたけ 内容量 160g 商品コード J4930652003974 原材料 しいたけ(原木) 保存方法 常温保存 製造者 株式会社 姫野一郎商店 大分県竹田市大字会々2718 区分 食品

5940 円 (税込 / 送料込)

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 160g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

3,980円以上のご購入で送料無料(沖縄含む)/土日祝日発送:肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 160g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

乾ししいたけ ■ どんこ 傘が開ききらないうちに収穫した肉厚で丸みを帯びたもの。なかでも傘の色が薄く亀の甲羅のような美しい模様が入っているものは、さまざまな気象条件が揃ったときにだけ収穫できる高級品とされ、進物にも使われています。 肉厚でうま味をたっぷり含んだ「どんこ」の中から、色、形、大きさを選んで箱に詰めました。 ■ 姫野一郎商店 どうして、大分のしいたけ栽培はこれほど盛んなのでしょう? それは、しいたけの歴史が大分で始まったからなのです。しいたけ栽培の歴史は、 いまから約400年前のこと、江戸時代の初期に始まったと言われています。当時の佐 伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいました。彼は宇目に出稼ぎ に行き炭焼きをして生計を立てていましたが、あるとき、炭焼き用の材木にしいた けが生えているのを発見したのです。 源兵衛翁は、これを見て人工的にしいたけの栽培をすることを思いつきました。こ れこそが大分のしいたけの発祥。栽培法は、宇目から県下一帯、そして九州一円に 伝わって行ったと言われています。山口県に残っている明治時代のある記録には、 「しいたけ製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」とあるそうです。 しいたけの菌が好むクヌギの森が多いことも、しいたけ栽培が普及するカギでした。 現在は、クヌギの原木に菌を植える「コマ打ち」という方法で栽培されていますが 、源兵衛翁がはじめた最初の頃、しいたけ栽培の方法は、クヌギの木に刃物で傷を つけ、そこに飛んでくるしいたけの胞子が自然に付着するのを待つ方法でした。 姫野一郎商店のある大分県竹田市でも、多くの生産者たちが山奥に住みながら、こ の方法でしいたけを栽培していました。 そして今から約140年前の明治時代、姫野万治が提灯やろうそくを取り扱う姫野商店 として創業したのがはじまり。2代目姫野勝太郎が乾し椎茸等の山産物を取扱いを はじめました。 万治の息子・勝太郎は、生産者の住む山奥までリヤカーを引っ張っていき、収穫さ れたしいたけを集めてまわったといいます。 この頃、しいたけはダシが取れてそのまま食べることもできる貴重品で、収穫した しいたけは飛ぶように売れた時代でした。ちなみに当時は乾燥機などないので、炭 火でしいたけを乾燥させていました。乾燥させるのには保存の意味合いがあったほ か、栄養分や旨味成分が増すこともすでに分かっていたそうです。 生産者から直接買い付けることで、品質に信頼を得ていた姫野のしいたけ。<二代 目>勝太郎の息子・一郎の代になったとき、ついに会社組織を立ち上げます。「姫 野一郎商店」の誕生です。 この頃にはしいたけ栽培の研究も進み、胞子が付くのを待たずとも、菌を直接原木 に打ち込める「種コマ」が開発され、<三代目>一郎は生産者たちにこれを普及し てまわりました。そして一郎は、種コマを販売した生産者に「収穫したものをうち に納めてください」とお願いして歩きます。これが「契約栽培」の始まり。やがて 世間には、姫野一郎商店と同じような問屋が多く出来はじめ、明治40年には現在の 大分県椎茸農業協同組合も発足。姫野一郎商店の歴史は、大分のしいたけの歴史と ともに歩んできたのです。 それから<四代目>勝俊、現在の<五代目>武俊にいたるまで、姫野一郎商店が最 も大切にしてきたことは「生産者を大切にする」ということ。生産者なくして、商 売はできません。二代目の勝太郎が山までリヤカーで上がっていたのは、車のない 生産者の労力を思ってのこと。その場で現金に換金もしていたのですが、当店はそ うして生産者たちに誠意を尽くし、信頼関係を築いてきました。 そのおかげで、生産者のほうから、進んで収穫したしいたけを納めに来て頂けるま でになりました。生産者はしいたけと交換したお金で子どもを学校に行かせたり、 その収入を日々の生活費に充てるなど、しいたけ栽培は地域の生活文化と共に育っ てきました。お互いに助け助けられの関係で、常に「生産者と一緒に」歩んできま した。この信頼関係のおかげで、外国産のしいたけが流入してきた時代にも、安全 ・安心な大分県産100%のしいたけにこだわり、安定した品質を保つことができてい ます。 現在、五代目の姫野武俊が受け継ぐ「姫野一郎商店」は、新しい取り組みにも挑戦 しています。それは、「本物のしいたけを世界に広め、食文化を育てたい」という こと。 140年の歴史で培ったしいたけ問屋としての目利き能力、そして安定した良質なしい たけを確保できる能力。それらを結集したレシピの提案、加工品の開発にいますべ ての知恵と情熱を注いでいます。 「しいたけ」が「SHIITAKE」として世界に羽ばたく日を夢見て。姫野一郎商店の歴 史は続きます。 商品名 どんこ箱 名称 しいたけ 内容量 160g 商品コード J4930652003974 原材料 しいたけ(原木) 保存方法 常温保存 メーカー 株式会社 姫野一郎商店 大分県竹田市大字会々2718 区分 食品 広告文責 コスメボックス 097-543-1871

5940 円 (税込 / 送料別)

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 200g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 200g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

乾ししいたけ ■ どんこ 傘が開ききらないうちに収穫した肉厚で丸みを帯びたもの。なかでも傘の色が薄く亀の甲羅のような美しい模様が入っているものは、さまざまな気象条件が揃ったときにだけ収穫できる高級品とされ、進物にも使われています。 肉厚でうま味をたっぷり含んだ「どんこ」の中から、色、形、大きさを選んで箱に詰めました。 ■ 姫野一郎商店 どうして、大分のしいたけ栽培はこれほど盛んなのでしょう? それは、しいたけの歴史が大分で始まったからなのです。しいたけ栽培の歴史は、 いまから約400年前のこと、江戸時代の初期に始まったと言われています。当時の佐 伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいました。彼は宇目に出稼ぎ に行き炭焼きをして生計を立てていましたが、あるとき、炭焼き用の材木にしいた けが生えているのを発見したのです。 源兵衛翁は、これを見て人工的にしいたけの栽培をすることを思いつきました。こ れこそが大分のしいたけの発祥。栽培法は、宇目から県下一帯、そして九州一円に 伝わって行ったと言われています。山口県に残っている明治時代のある記録には、 「しいたけ製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」とあるそうです。 しいたけの菌が好むクヌギの森が多いことも、しいたけ栽培が普及するカギでした。 現在は、クヌギの原木に菌を植える「コマ打ち」という方法で栽培されていますが 、源兵衛翁がはじめた最初の頃、しいたけ栽培の方法は、クヌギの木に刃物で傷を つけ、そこに飛んでくるしいたけの胞子が自然に付着するのを待つ方法でした。 姫野一郎商店のある大分県竹田市でも、多くの生産者たちが山奥に住みながら、こ の方法でしいたけを栽培していました。 そして今から約140年前の明治時代、姫野万治が提灯やろうそくを取り扱う姫野商店 として創業したのがはじまり。2代目姫野勝太郎が乾し椎茸等の山産物を取扱いを はじめました。 万治の息子・勝太郎は、生産者の住む山奥までリヤカーを引っ張っていき、収穫さ れたしいたけを集めてまわったといいます。 この頃、しいたけはダシが取れてそのまま食べることもできる貴重品で、収穫した しいたけは飛ぶように売れた時代でした。ちなみに当時は乾燥機などないので、炭 火でしいたけを乾燥させていました。乾燥させるのには保存の意味合いがあったほ か、栄養分や旨味成分が増すこともすでに分かっていたそうです。 生産者から直接買い付けることで、品質に信頼を得ていた姫野のしいたけ。<二代 目>勝太郎の息子・一郎の代になったとき、ついに会社組織を立ち上げます。「姫 野一郎商店」の誕生です。 この頃にはしいたけ栽培の研究も進み、胞子が付くのを待たずとも、菌を直接原木 に打ち込める「種コマ」が開発され、<三代目>一郎は生産者たちにこれを普及し てまわりました。そして一郎は、種コマを販売した生産者に「収穫したものをうち に納めてください」とお願いして歩きます。これが「契約栽培」の始まり。やがて 世間には、姫野一郎商店と同じような問屋が多く出来はじめ、明治40年には現在の 大分県椎茸農業協同組合も発足。姫野一郎商店の歴史は、大分のしいたけの歴史と ともに歩んできたのです。 それから<四代目>勝俊、現在の<五代目>武俊にいたるまで、姫野一郎商店が最 も大切にしてきたことは「生産者を大切にする」ということ。生産者なくして、商 売はできません。二代目の勝太郎が山までリヤカーで上がっていたのは、車のない 生産者の労力を思ってのこと。その場で現金に換金もしていたのですが、当店はそ うして生産者たちに誠意を尽くし、信頼関係を築いてきました。 そのおかげで、生産者のほうから、進んで収穫したしいたけを納めに来て頂けるま でになりました。生産者はしいたけと交換したお金で子どもを学校に行かせたり、 その収入を日々の生活費に充てるなど、しいたけ栽培は地域の生活文化と共に育っ てきました。お互いに助け助けられの関係で、常に「生産者と一緒に」歩んできま した。この信頼関係のおかげで、外国産のしいたけが流入してきた時代にも、安全 ・安心な大分県産100%のしいたけにこだわり、安定した品質を保つことができてい ます。 現在、五代目の姫野武俊が受け継ぐ「姫野一郎商店」は、新しい取り組みにも挑戦 しています。それは、「本物のしいたけを世界に広め、食文化を育てたい」という こと。 140年の歴史で培ったしいたけ問屋としての目利き能力、そして安定した良質なしい たけを確保できる能力。それらを結集したレシピの提案、加工品の開発にいますべ ての知恵と情熱を注いでいます。 「しいたけ」が「SHIITAKE」として世界に羽ばたく日を夢見て。姫野一郎商店の歴 史は続きます。 商品名 どんこ箱 名称 しいたけ 内容量 200g 商品コード J4930652003981 原材料 しいたけ(原木) 保存方法 常温保存 製造者 株式会社 姫野一郎商店 大分県竹田市大字会々2718 区分 食品

7140 円 (税込 / 送料込)

肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 200g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

3,980円以上のご購入で送料無料(沖縄含む)/土日祝日発送:肉厚でうま味たっぷり どんこ 箱入 200g 竹田市 干し椎茸 乾し椎茸 しいたけ シイタケ 姫野一郎商店【送料込】

乾ししいたけ ■ どんこ 傘が開ききらないうちに収穫した肉厚で丸みを帯びたもの。なかでも傘の色が薄く亀の甲羅のような美しい模様が入っているものは、さまざまな気象条件が揃ったときにだけ収穫できる高級品とされ、進物にも使われています。 肉厚でうま味をたっぷり含んだ「どんこ」の中から、色、形、大きさを選んで箱に詰めました。 ■ 姫野一郎商店 どうして、大分のしいたけ栽培はこれほど盛んなのでしょう? それは、しいたけの歴史が大分で始まったからなのです。しいたけ栽培の歴史は、 いまから約400年前のこと、江戸時代の初期に始まったと言われています。当時の佐 伯藩千怒の浦(現在の津久見市)に源兵衛という翁がいました。彼は宇目に出稼ぎ に行き炭焼きをして生計を立てていましたが、あるとき、炭焼き用の材木にしいた けが生えているのを発見したのです。 源兵衛翁は、これを見て人工的にしいたけの栽培をすることを思いつきました。こ れこそが大分のしいたけの発祥。栽培法は、宇目から県下一帯、そして九州一円に 伝わって行ったと言われています。山口県に残っている明治時代のある記録には、 「しいたけ製造には必ず豊後人を雇わずを得ず」とあるそうです。 しいたけの菌が好むクヌギの森が多いことも、しいたけ栽培が普及するカギでした。 現在は、クヌギの原木に菌を植える「コマ打ち」という方法で栽培されていますが 、源兵衛翁がはじめた最初の頃、しいたけ栽培の方法は、クヌギの木に刃物で傷を つけ、そこに飛んでくるしいたけの胞子が自然に付着するのを待つ方法でした。 姫野一郎商店のある大分県竹田市でも、多くの生産者たちが山奥に住みながら、こ の方法でしいたけを栽培していました。 そして今から約140年前の明治時代、姫野万治が提灯やろうそくを取り扱う姫野商店 として創業したのがはじまり。2代目姫野勝太郎が乾し椎茸等の山産物を取扱いを はじめました。 万治の息子・勝太郎は、生産者の住む山奥までリヤカーを引っ張っていき、収穫さ れたしいたけを集めてまわったといいます。 この頃、しいたけはダシが取れてそのまま食べることもできる貴重品で、収穫した しいたけは飛ぶように売れた時代でした。ちなみに当時は乾燥機などないので、炭 火でしいたけを乾燥させていました。乾燥させるのには保存の意味合いがあったほ か、栄養分や旨味成分が増すこともすでに分かっていたそうです。 生産者から直接買い付けることで、品質に信頼を得ていた姫野のしいたけ。<二代 目>勝太郎の息子・一郎の代になったとき、ついに会社組織を立ち上げます。「姫 野一郎商店」の誕生です。 この頃にはしいたけ栽培の研究も進み、胞子が付くのを待たずとも、菌を直接原木 に打ち込める「種コマ」が開発され、<三代目>一郎は生産者たちにこれを普及し てまわりました。そして一郎は、種コマを販売した生産者に「収穫したものをうち に納めてください」とお願いして歩きます。これが「契約栽培」の始まり。やがて 世間には、姫野一郎商店と同じような問屋が多く出来はじめ、明治40年には現在の 大分県椎茸農業協同組合も発足。姫野一郎商店の歴史は、大分のしいたけの歴史と ともに歩んできたのです。 それから<四代目>勝俊、現在の<五代目>武俊にいたるまで、姫野一郎商店が最 も大切にしてきたことは「生産者を大切にする」ということ。生産者なくして、商 売はできません。二代目の勝太郎が山までリヤカーで上がっていたのは、車のない 生産者の労力を思ってのこと。その場で現金に換金もしていたのですが、当店はそ うして生産者たちに誠意を尽くし、信頼関係を築いてきました。 そのおかげで、生産者のほうから、進んで収穫したしいたけを納めに来て頂けるま でになりました。生産者はしいたけと交換したお金で子どもを学校に行かせたり、 その収入を日々の生活費に充てるなど、しいたけ栽培は地域の生活文化と共に育っ てきました。お互いに助け助けられの関係で、常に「生産者と一緒に」歩んできま した。この信頼関係のおかげで、外国産のしいたけが流入してきた時代にも、安全 ・安心な大分県産100%のしいたけにこだわり、安定した品質を保つことができてい ます。 現在、五代目の姫野武俊が受け継ぐ「姫野一郎商店」は、新しい取り組みにも挑戦 しています。それは、「本物のしいたけを世界に広め、食文化を育てたい」という こと。 140年の歴史で培ったしいたけ問屋としての目利き能力、そして安定した良質なしい たけを確保できる能力。それらを結集したレシピの提案、加工品の開発にいますべ ての知恵と情熱を注いでいます。 「しいたけ」が「SHIITAKE」として世界に羽ばたく日を夢見て。姫野一郎商店の歴 史は続きます。 商品名 どんこ箱 名称 しいたけ 内容量 200g 商品コード J4930652003981 原材料 しいたけ(原木) 保存方法 常温保存 メーカー 株式会社 姫野一郎商店 大分県竹田市大字会々2718 区分 食品 広告文責 コスメボックス 097-543-1871

7140 円 (税込 / 送料別)

《国産 どんこ椎茸 50g 》ドンコ 干ししいたけ 乾しいたけ 肉厚 国産原木 大分産 冬茹

昭和9年創業。東京亀戸「佐野みそ」がオススメする《国産 どんこ椎茸 50g 》ドンコ 干ししいたけ 乾しいたけ 肉厚 国産原木 大分産 冬茹

賞味期限 パッケージに記載(4ヶ月以上) 保存方法 直射日光、高温多湿を避け常温で保存下さい 内容量 60g 原材料 しいたけ(大分産・原木) 説明 旨味たっぷり ちょどよい小ぶりのどんこです。 肉厚で旨味がたっぷりです。 どんことは カサ(上の部分)が7分以上開く前に収穫されたシイタケのことです。 そのため、肉厚で食感がたまりません。 豊富なアミノ酸 ビタミンD2 グルタミン酸 アスパラギン酸 スレオニン アラニン チロシン フェニルアラニン が豊富に含まれています。 用途

958 円 (税込 / 送料別)